南スラヴにおける汎スラヴ主義は、前述のシャファーリクやコラールの影響が大きい。しかしながらその前提として、イリュリア主義が存在した。
イリュリア主義は、紀元前にバルカン半島西部、すなわちイリュリアに存在したイリュリア人を南スラヴ人の祖先と見なし、これを根拠に南スラヴ人の言語・文化的統一を主張する思想である。
なお、今日ではイリュリア人が南スラヴ人の祖先ではないのはほぼ確実である。このためイリュリア主義はのちに衰退することになるが、その業績はユーゴスラヴ主義に引き継がれた。
主要なイリュリア主義者としては、クロアチアのリューデヴィト・ガイ(1809年-1872年)などが挙げられる。
1848年革命のさなか、6月にプラハで第一回汎スラヴ会議が開催された。この会議は、主としてフランクフルト国民議会への参加を拒否したチェコ人によって構成されており、反オーストリア、反ロシア色の強いものであった。この会議で青・白・赤の三色旗が汎スラヴの色とされたが、影響力を発揮することなく終幕した。
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19世紀後半、オスマン帝国の衰退が明らかになると(いわゆる「東方問題」)、ロシア帝国はバルカン半島への勢力拡大のために汎スラヴ主義を唱えるようになる。一般に「汎スラヴ主義」と言った場合、特にこの時代の汎スラヴ主義運動を指すことが多いが、その結実した時期は非常に短い。第一次世界大戦の起源としてロシア帝国主導の汎スラヴ主義とドイツ帝国、ハプスブルク君主国主導の汎ゲルマン主義の衝突を推定するのは、一般的には行われているが、疑問が残る。